「日本だけ、15~34歳の若い世代で死因の1位が自殺」って?

幸せの象徴。というとそれぞれ様々環境や状況があるので、一概には言えませんが。

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弱肉強食な生物のトップに君臨している、最弱なイキモノが人間

まずは引用します。

政府は3日午前の閣議で、2014年版「自殺対策白書」を決定した。
13年の全国の自殺者数は前年比575人減の2万7283人となり、4年連続で減少した。
3万人を下回ったのも2年連続。ただ、先進7か国(G7)中、15~34歳の若い世代で死因の1位が自殺となっているのは日本だけだった。
菅官房長官は3日の記者会見で、若者の自殺率の高さについて、「原因をしっかり精査して対策を講じ、若者が未来に向けて生き抜く力を植え付けたい」と述べた。

「日本だけ、15~34歳の若い世代で死因の1位が自殺」って?

ほうほう。原因を精査して対策を講じて生き抜くチカラを植え付けたいとはいかにも無責任な発言だと思いません?

この書き方からして、
景気はアベノミクスで上昇していることに比例して、4年連続で自殺者は減った。
と聞こえますが、それは誰に対して自分の立場を守るための発言なのでしょうか。

あるのかもしれませんが1円までしっかりとした税金の収支を納税者に公開してほしいものです。
領収書つけてね。エビデンス必要です。

最弱なのに平和という幻想がダメにする

教育がいかんせんクセモノです。
中には立派な教師の方々もいらっしゃいますが、教育指針が誰の為にあってそれがその結果どうなっているか、現実を捉えないと。
保身の為の政策などされても。でも美味いことやるからジワジワと影響しているものの、気づいた時には当たり前になっていて、慣れている。

慣れってコワイもんだ。

「生きる」ことだけに関していえば人間なんてチッポケな存在だし、そんな状況の中、変に保護されているのが逆効果になっている。
まさに死に物狂いでって環境じゃないことが、余計な思考を生み出してしまう。

私だって朝起きてまた生きてたかって思う時もありますよ。波は当然あるし、仕方がない。

現実を直視して乗り越えられる資質を養えるかが重要になってきています。

現実・事実起きていることを認められるか

認めにくい・認めたくない、と考え自分の良いように解釈してしまうのも分からなくないです。
そうした方が心地いいし、何よりもラク。
楽を選んでしまうのが人間だということを踏まえられれば、そう判断はしないのですが仕方ありませんよ、人間ですから。

自分の都合の良い解釈ばかりし続けるとそれが当たり前になってしまう。
自分を否定しないような思考を根付かせる。

しかし、その考えが成長してしまうと取り返しがつかなくなる。
否定しない、否定してはならない。
それが自殺まで発展してしまい、それすら否定できず実行することを肯定してしまう。

これだけ平和な日本に生まれてこれたにも関わらず。
閉鎖的と一言で言ってしまえばそうなのかもしれませんが、当たり前の環境に疑問を抱けなくなっている事に起因しているのではないか。

それを飛躍して捉えれば、生きるという本能すら否定してしまう。
死を自ら率先して肯定してしまう。

弱いのは当たり前という前提を踏まえれば

気が楽になります。

それどころか、一段高い理解にいたれると思います。
なんだか宗教的になっていると感じるかもしれませんが、生きるってことを考え続けると哲学的になり、更に抽象度が上がって宗教的になってしまうのは、人間の限界をも意味しているのでそこはご勘弁を。

よく日本人は無宗教が多いなどと言われますが、結構生活に馴染んでいることが仏教由来だったりすると言われています。
しかし日本は宗教に対して消極的な文化があります。
それは「争い・戦い」をしなくても平和な生活が遅れる環境にあるからであり、その担保が無くなり「なにか」を用いても統率しなければなくなった場合にはやはり宗教などの抽象度が高い共通意識を利用するほかなかくなるでしょう。

イスラム国がより原始的なイスラム教の教えに従う国・世界を作るというのも、このような理解を示せば単に否定することはできなくなるでしょう。恐らくそれが本質的な問題なのだと考えさせられるからです。

だからこそ、「自分は弱いよ」と一旦認めてしまい、それを「捨てつつ持ち上げる」ことが出来れば自分を追い込むことが少なくなるのではないのでしょうか。

捨てつつ持ち上げる、アウフヘーベン

捨てながらも持ってるし、更に持ち上げる?

意味分からん日本語ですが、弁証法のアウフヘーベンですね。

「良い」ものには同時に共存している「悪い」部分。
それらを互いに否定することなくまとめあげれば、新たな次元に持ち上げられる。

この解説自体抽象度が高いので理解しにくいとは思います。

例えば、
「自分が嫌い←→自分が好き」
は共存している。ただどっちに主眼が置かれているかだけが問題であり、「好き」の方が見えにくくなっているだけ。
だから、「自分は弱いよ」と一旦諦めてしまってみると視野が広がって、「あれ?やっぱ好きな部分も見えてくるじゃん」っていう心の余裕が出てくるし、肩の力も抜けてくる。

偏った考えのわたしでもできたから安心して欲しい

思考の凝り固まりはなかなか取り払えないのは経験済みですし、そんな考えが小さいなと思えるようになっているので無理ではないです。
今の自分から少し前の自分のことを考えてみると、大して変わりはないなと思える部分と大きく変われた部分があるなという感覚です。

この相反する感じを捉えられるようになったことが大きな進化だと、自信を持つようにしてみる。

0と1ではくたびれてしまう

0.1も0.9999999もある。曖昧さがイキモノの持つ最大の強みだから、許そうよって。

でも世の中がシビアになっていくとどうしても影響を受けてしまう。だからこそ、本質に戻って俯瞰して見つめ直せば「あ、そんなカンタンなことだったんだ」って。

差が無いと理解できないから、人間は。

自信をもつようにしてみるが大事。
一発で成功するわけでもないし、むしろ大半が失敗。
トライアンドエラーしてみる、し続ける。
そうしてれば、あっという間に年を重ねて勝手に寿命を迎えてしまう。

だから、自ら殺すなんて事は無視してほしいのです。争うことすら考えられる人間なのですから他人に対しても寛容的になっていきたいものです。

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