結婚とは親の責任は子供が成人になっても発生するのか
みのもんたの息子が犯した犯罪の責任は、親という立場の人は誰にでもいつ襲い掛かってくるか分からない。他人ごとでは済まされない。
目次
外的要因で結婚してはいけません
人それぞれ結婚観は違います。
しかし、重要なことは共通していて「外的要因で結婚を決めてはならない」ということです。
例えば、
世間体
年齢
こういう事で「結婚しなければならない」と思うのは、果たして結婚してからの事を真摯に受け止めているのでしょうか。
婚活ブームとは
流行りに流されやすいのが日本人でしょう。
集団心理が働くことで安心というか、間違いではないと思ってしまう。
教育に問題があるとさえ考えてしまいます。
婚活で得られるものは、様々な角度から考えれば必ずしもマイナスではないでしょう。
いろんな人との出会いから得られるものは多大な影響があります。
がしかし、
そこで何も考えずにいられることが問題だと思います。
カタチとしては「婚活」となっています。
名前だけであって、本質は普段出会わない方々と出会える「場」「時間」の提供であり、
そこには「異なった価値観」を得られるという事を意識することが本来重要なのではないでしょうか。
そもそも結婚の先にあるものは
結婚とは、人様の大切な娘さん、息子さんを精神的に経済的に幸せにしていくことへの誓いであり、
そこに子供が生まれたとしたら責任は計り知れないほどの事になる。
そして、その責任を果たせるだけの人間性を自分で進化させてこられたか、これからも進化させ続けられるかを、自分に問い続けなければならないことです。
しかし、世の中はそんな風に考えている人が少ないように感じます。
モンスターペアレントや少年犯罪など、どうしても親の責任が希薄になっているから発生するとしか思えません。
自分の遺伝子を残す行為に対して何も考えていない。
それがどれだけ周囲・世の中に影響を与える行為だということに気づいいていないのでしょう。
しっかりとした考えをもってパートナーを見つけ誓う
なんか安易な行動が、世の中の流れとして見受けられます。
重たいしそんなもんじゃないと言われるかもしれませんが、
ある程度予測できるのもニンゲンなのです。
だからこそ、最大限仮設をたてた上で、最善策をとることがニンゲンとしての責任を全うしていけるはずなのです。
その先に、ようやく「誓い」が成立します。
子供に責任はない
みのもんたの親の責任、子供とはいえ30歳過ぎた成人後の子供が犯した犯罪の責任を親がとる必要はあるのか?
などと言われています。
この議論は答えが出ないでしょう。
しかし、自分の考えをしっかりと持つ必要がある議題です。
私の答えとしては、
子供の責任は親にある
です。
それは子供がいくつになってもです。
なぜなら、子供の考えや価値観、行動規範などは、育てられた親から影響を受けることは明白だからです。
そのような人間に育ててしまった親は、子供が成人したからといっても責任は発生するべきだと考えます。
だからこそ、子供に責任はないと極端な表現にしましたが、親となる人はそれだけ責任感を持ち、教育しながら子供を育て上げる必要があるのです。
語弊が生まれやすい表現ですので、
全て子供に責任が無い訳ではありません。
もちろん、自分で犯した犯罪は自分の責任です。
そして、生命は生まれるべくして生まれていますが、そのコントロールをできるのも人間です。
なので、人間の子供は生まれたくて生まれるのではなく、
むしろ、親のエゴの塊が子供という捉え方もできるでしょう。
だからこそ成長・進化が欠かせない人間
これからの時代ももちろん、簡単には生きていけなくなる。
自然環境、経済、価値観。
その事を考慮し、子供が生まれて80年以上これらを確信を得て大丈夫だと思えるのならば、
人口低下からくる経済的ダメージを和らげることへの参加、生き物として本来の目的を果たしてもいいのでは無いかと考える日々でございます。