ベッキーのあだ名 元気の押し売りならぬ共通言語・共通認識の押し売り

有吉のあだ名のセンスは秀逸。日常でも共通言語を押し売りし、価値観の強要をされたときあなたは何を考えますか。

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社会人ならサラリーマンならビジネスマンなら新聞を読もうって古くないか?

ベッキーのあだ名 元気の押し売りならぬ共通言語・共通認識の押し売り新聞を読むこと自体を否定しているわけではありません。

しかし、この事を主張する人たちって「新聞さえ読んでれば一人前の社会人、いや、ビジネスマンなのだ」みたいな感じに聞こえてくるんですよね。

で、そういう人たちって大概が情弱。

こんだけ情報が手に入りやすくなっているなかで、時々刻々とかわる最新の情報を印刷物で処理しようとしている発想に問題がありませんか?という問題提起をしようとかなと。

そもそも新聞ができるまでの時間はどれくらいか

朝刊だけを例にしてみます。

ざっと調べたところ、

17時からが編集作業の大詰めが開始。
それから夜な夜な記事が仕上げられてきます。
3時頃から印刷工程へ。
5時頃には小売店へ搬送される。

らしいです。

なんかホントかなと思う時間ですが、深く調べる必要はなさそうなのでこんな感じにしておきましょう。

新聞の情報は半日以上古いものだ

これって致命的じゃないですか?

ネットだったら瞬時に配信できるわけですから。

例えば新聞に書かれた内容の事柄に急展開があったとしましょう。
ネットだったらその情報が入ってきた瞬間瞬間で配信できるからリアルタイムで取得できます。
新聞だったら半日から1日以上遅れて次の展開が配信されてきます。
そうこうしているうちに、その事柄は収束を迎え、現代では無価値となる可能性があるわけですよね。

そんな古い情報って意味あるのか?

そもそも新聞という同じものを読むことで集団心理が働く

「○○新聞に載ってたあの記事読みましたよね?」
的な事を耳にします。

そうするとその人たちは共通言語というか共通認識が生まれ、安心するんでしょう。
そして、あのでっかい紙を広げて読んでいることが、まだカッコイイとさえ潜在意識の中で美化されているようにも思えます。

で、「読んでない」なんか行った時には、
「なぜ読まない」
「社会人として当たり前だ」
みたいな事を言い放つわけですよ。

日本人特有というか、同じものを知っている、同じもので会話ができて傷を舐めあえる事が落ち着いたり安心してしまうんでしょう。

潜在意識が 新聞=大人 としている

たぶん、そいいう方々は幼少期に厳格な父親が新聞を広げ読んでいる姿が脳裏に焼き付き、「大人は新聞を読むもんなんだなぁ」と刷り込まれていることでしょう。

畳の上に置かれたちゃぶ台の前に鎮座しているオヤジがフラッシュバックし続けている。

いやぁ、時代は流れているからさ。

その場で足踏みしている事を進み続けていると勘違いしてる

イメージですが、まさにこんな感じなんじゃないかなと。

新しいものを受け入れられない脳になるのは恐ろしい。
この事実に気づいてほしい。

情報は流動的だからこそ価値をもつ

ニュースです。
新ぶんです。

新しい事をこのご時世に印刷して最新記事なんです!と声高々に言われてもね。
しかも無駄にでかくて邪魔。

いいことないんですよ。

海外ではどんどん新聞社が紙面を廃止して電子化を推進しています。
日本も電子化をしてないわけではないし、”一情報元”として、新聞”も”読むことは良いと思います。

その電子化の流れという大きな事すら理解できず、ひたすら○○新聞を読むのだ!
といってるのは、竪穴式住居に住み続けているようにも感じてしまう。
極端な表現ですけどね。

世の中の情報を処理していると思い込んで新聞を読めと押し売りしてくるのなら、もっと大きな情報の流れや世界の動向を処理しようと他の情報取得・処理方法を考えなさーい

Googleリーダーがサービス終了し、Feedlyとかが頑張ってくれているのでやはりRSSも情報処理方法としてはまだまだ使えると思います。

最近ではニュース要約サービスも多くなってきているし、こういう流れの根本を考えれば、既に情報が溢れかえっている中からどれだけ効率的に処理できるかを考えるはずなんですけどね。

そして最も重要なのは、多くの情報が自由に発信できるようになってるからこそ、真実や本質を見抜く能力も重要になってくるし、それを養うにはこういった視点を持っていきたいものです。

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