もしも余命を告げられたら、あなたは延命治療しますか?生きるという価値観のお話し
ネガティブこそ最強のポジティブ
余命半年と確定したらあなたはどうしますか?
ガンに限らず、不確定で認識しにくい「死」の時間を確定された場合、どういう反応を自分はするかということを考えたりします。
入院して、延命治療して、家族と少しでも長い時間を過ごしたいと思うのが、一般的かもしれません。
しかしそれで本当に良いのでしょうか。
生き長らえる事しか、まず選択肢が無いことに疑問はないのでしょうか。
決して、延命治療はしません
そもそも、医療が嫌いです。
先にお断りしておきますが、無宗教です。
宗教ってのは結局ビジネスであり、人種を超えて人を動かすときに使いやすいだけであり、
それが誰しも確認できない「神」というものだからこそ成立したりしてるわけですから、
しっかりと考えられる人はそんな事に時間を割いてられないはずなのですが。
で、話しを元に戻すと医療が嫌いなんですが、人が人を改造するようにしか捉えられないんです。
多少の外傷などは消毒程度、動物でもするからして当然の範疇です。
しかし、手術ってのはどうも受け入れられないんです。
改造しているわけですからね。人が人の身体を。
そして、行き続けることが出来たとしてもどうなんだった考えたほうがいい。
本来はそのタイミングで死を受け入れることが、本来その人の人生であり、周りの環境に与えるべき事なんだと自覚しなければならないんです。
老害が広がる原因
もういい加減。。。。みたいになってきているこの日本。
どうしてそこまでして生き続けたいのだろうと不思議でしょうがない。
そういう輩に限ってそんな事すら考えずにのうのうと生きていきたいと思っていることまちがいなし!
ま、世間や社会にとって害にならなければいいのですが。
延命治療の技術が進化しているという
これまたどうかと、耳を疑いたくなるような事です。
確かに、研究者は技術を進化させることが命題のように捉えているので仕方ないかもしれませんが、それらを利用して迎える未来を予測しているのでしょうか。
頭がいいのはわかるので、そのあたりも多少は考慮しているとは思いますがどうも現実的ではないと思います。
更にそこに期待を頂いている事が問題でしょう。
100歳以上が人間の平均寿命となったところで、社会保証問題や労働問題へと繋がるし。
仮に、その延命法が体力・知力・脳力を維持できるとしたら、多少問題は緩和されるでしょう。
しかし、聞いている以上そうではなく、ただただ心臓が電気信号を継続し続けるようになっている感じだから問題。
ある程度年を重ね、日本という恵まれてヌルい環境だからこそ、「コミュニティ発展欲求」に移行してもいいとは思うところですが、自我欲求レベルだしそこまでいくと生理的欲求レベルとさえとれる発想の貧困さが悲しい。
燃え尽きればいいじゃん
だからこそというと主張してきたことが繋がらないかもしれませんが、それくらいの文章力なので大目に見てください。
何歳まで生きようとか言って、のたうちまわってるんじゃなくて、もっともっと濃ゆく熱く生き抜いていけばそれでいい。はず。
現代の人間は。
ダラダラと長生きして後世に負担や老害を及ぼすのなら、燃えて朽ち果てて本望。
健康で無いと何も出来ないかもしれませんが、それを凌駕するほどに挑戦し続ければそれでよし。
極端な発想だとは百も承知ですが、そうでもしない限り人類の将来は希望に満ち溢れるものにはならないのだと、日々日々感じ、考え、行動していく所存であります。
だから、生命の有限を宣告されるような病魔に侵されてからこそ、更に自分を振り返ることができ、より現実的に捉えられ、燃え尽きることができる。
そんな人生でありたい。